社会人でもヲタクできる。

拗らせもの置場

だってさ、人それぞれ感じ方は違うからさ。

7/9の仁ちゃん(赤西仁)ライブの感想記事と仁ちゃん拗らせ記事が先日急に沢山の方にRT&ふぁぼを頂きまして…皆様、本当にありがとうございます。なぜ急に?と思った。友人にもなぜ今なんだ!と電話したが、きっとどこか有名なJip'sさんがRTしたのではないかというところに落ち着いた。有名なJip'sさん、ありがとうございます。こんな支離滅裂な私のブログを読んで『共感しました』や『泣きそうになった』『泣いた』なんて方がいらっしゃってもうびっくり。そもそもはてなブログ仕様に考察風?とか、書き方とか寄せてるつもりではあるが、元々は感情爆発系の書き方をするタイプの人間のため、たまに書き方にブレが生じているのはご愛嬌ということで(笑)今回は特に誰についての記事とかではなく、どっちかというと『ファン』について書ければと思う…が、あくまで私の主観が入ってくることを頭の隅に置きながら閲覧して頂きたい。

 
あなたの思う彼はどんな人ですか

十人十色という言葉があるように、みんなそれぞれに物事の捉え方や感じ方は違う。私は渋谷すばるが好き。でもきっと私が好きな「渋谷すばる」は私の知ってる、私の感じている、私のフィルターを通した渋谷すばるだ。同じく渋谷すばるを好きな人、所謂「同担」といわれる人と似た感じ方というのはあると思うが、全く同じ感じ方という人は限りなく0に近いのではないかと思う。皆それぞれにきっと違うフィルターを持っていて、それが全く同じな人はいなくても、近しい人と共感し合って楽しんだり、悲しんだり、時に拗らせたり・・・。ヲタクというのは本当に面白い。他の人のブログやtwitterを見て「わかる!そう、そうなの!!!」と激しく共感できるときもあれば「え?そうかな・・・。私はそうは思わないなー。」と思うこともある。この際、「全然わかってないね!」とか「どこみてんの?」みたいなコメントだったりツイートを目にしたこともあるが、私はそれは違うと思う。先ほども述べたように、人それぞれ感じ方は違う。自分と意見が違っていても、なにもおかしいことはなくて、その人的にはそれがその人の知っている「彼」なのだ。人のツイートやブログを見るのは個人の自由であって、みるからには「その人の中の彼」がいる前提で見るべきだと思う。それを否定したり批判したりするのはお門違いだ。「そういう捉え方もあるのか、私とは違うなー。」くらいで留めておいて欲しい。少しでもヲタクVSヲタクの紛争を減らしたいと思う私の一意見だ。もちろん、これはあくまでも私の感じ方であって、理解できない人もいるだろう。むしろそれでいい。自分の意思を持った上で、私の様な考えを持っている人がいるというのを頭の隅にでも置いておいて欲しい。

 

だってさ、人それぞれ感じ方は違うからさ。

話は冒頭に戻る。数日前にRT&ふぁぼをたくさん頂いた、「仁ちゃんライブ感想記事」と「仁ちゃん拗らせ記事」について。私は正直びっくりした。まず、感想の記事については「特に何って書いていない」からだ。本当に、目立って何にも書いていない。ただその日一日のことを時系列にそって書き、赤西仁という男性が美しいということを違う表現で書きまくっただけの記事。「特記することなし」というようなごく平凡な感想記事である。しかし、RTふぁぼして下さった人のツイートを覗きに行くと、「ファンクラブに入っていないのにこんな記事書いてくれてる!」というように、要は他担が自担の感想記事(しかも超誉めてる)を書いてくれているということに感動してくださっている方や、「赤西仁はなぜ美しいのかww」とタイトルに笑って、読んで見たらすごい誉めてくれてるじゃん!的な人が多かった(と思う)。なるほど、と思った。たしかに、相手の立場にたってみたら嬉しい。自分の好きな人の事を、違う人が好きなのに誉めてくれている。という事実に喜ぶだろう。ついでに拗らせてみた記事に関しては「泣きそう」「泣いた」という人がいておったまげた。正直、拗らせ記事に関しては批判も覚悟の上の投稿だった。(上記にもあるように「私とは違うなー。」で留めておいてもらうにこしたことはないが)しかし、思いのほか共感を得たらしい。仁ちゃん、愛されてんね。とか思いながらたくさんのJip'sに感謝した。

 

この一件があってからの更新は正直悩むところが多かった。ここはあくまで私が持論を適当にゆるーく語る場である。以前の記事がたくさんの人に見ていただけたのは嬉しいと同時にとても怖かった。一瞬、今後は当たり障りのない、万人受けするような記事を書こうとも思ったがそれでは意味がない。だからこの記事を書いた。今後、このブログを更新していく上で、不快に思ったり批判したくなる人がでてくるかもしれない。しかし、その意見に負けてという表現は語弊があるかもしれないが、合わせてまでここに記事を上げることに意味があるのかと言えばないだろう。あくまで私は、私のフィルターを通した『彼』をこの場に綴っているだけだ。

 

…と、そんな事をここ数日ちょっと考えていた。他の人のブログ記事を見て、不愉快だとかなんとか色々書かれていたのが悲しくなった。少し言葉を変えるだけでもだいぶ違うのにな、とか。私はそうは思わないなーくらいでとどめて欲しいな、とか。○○担じゃないのに何がわかるの的なのは本当に胸が痛い。まるでその人の担当じゃなければ何もわからない、何も語るなと言われているように感じた。突き放された気持ちになる。しかし、はてなブログを更新している人は自分の意思を貫き通して、どんどん書いて欲しい。自分の知ってる、自分のフィルターを通した『彼』のことを。私は、誰かのフィルターを通した誰かの『彼』が好きだ。